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― 祈り ―

2023/09/02

2:祈り

文字数:約1112文字
 祈りの声が何処からともなく届いてきます。
 あれは― 誰の想いでしょう?

――――――――――――†――――――――――――

 キィ
 軋みながら扉が開かれる。
 まっすぐに目を延ばせば神を象った像がそこに見えた。
 ステンドグラスから微かに光が入ってはくるものの、建物の中はやけに薄暗い。
「……」
 誰もいないのかそこは酷くあちこちが痛んでいる。
 コツコツと俺の足音だけが響き、ほこりが舞い上がる。
 俺はドサッっと荷物を降ろし腰掛けた。

「神様……」

 不意に近くから微かな声が聞こえる。
 誰もいないと思っていたそこに、一人の女がいた。
 年は二十歳を超えたくらいだろうか?
 手を胸の前で合わせ一心に何かを呟いていた。
 馬鹿馬鹿しい……
 俺はその様子を見て思った。
 神なんている訳無いのに―
 女は俺に気づく事もなくただひたすらに祈りの言葉を紡ぐ。
 そもそも俺が入ってきたことにさえ気づいていないのだろう。

 と、祈り終えたのか顔を上げ扉へと向かう。
 不意に目が合ってしまった。
「あ…」
 女のほうも誰もいないものと思っていたのだろう、
 立ち止まったまま何も言えないようだ。
「何を祈っていたんだ?」
 聞く気もないのに言葉が出た。
「家族の幸せをです」
 ニッコリと笑いながら近づき、女は隣に腰掛ける。
「あなたもお祈りに?」
「まさか!?俺は神なんか信じちゃいないんでね」
「そうですか。では何をしに?」
 女は覗き込むように俺を見た。
「誰もいなさそうだったんでね。ちょいと宿代わりにと」
「まあ?放浪してる方?ご家族はいらっしゃいませんの?」
「家族なんてとうの昔に忘れたさ。あんたと違ってね」
 俺はチラリと女のほうを見た。
 女の瞳が小さく悲しげに揺らいだ。
「私も家族といっても弟しかいませんわ。
 両親は弟が小さな時に亡くなりましたの」
 何処か寂しげに女は笑う。
「……。わるかったな」
「いいえ。今は弟がいますもの。あの子の為に頑張る事ができますわ」
 家族ねぇ。そんなものがそんなに大切だろうか?
「神にすがりたいほどに不幸せなのか?」
 一瞬の沈黙の後。
「神はただ見守るだけの存在ですわ。

 それでも、祈りは届くと想いますの」

 そう言って微笑む姿は聖母のようだった。
「あら。いけない。夕食の準備をしなきゃ」
 はっと気づいたように女は立ち上がる。
「あ、よろしければ家にいらっしゃいませんか?」
 振り返り女は言った。
「いや。ここでかまわない」
 人の家というのはどうも慣れない。
「そうおっしゃらずに、どうぞいらしてくださいな」
 強引に腕を引っ張られる。
「ああ、分かったよ」
 俺はしぶしぶ着いて行く事にした。
「そうそう、弟の名前はのぞむといいますの。
 私はきよですわ。あなたは?」
「俺は……イザナ」

 にこやかに微笑む彼女に俺はどこか暖かいものを感じていた。




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