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― 黄色いレインコート ―

2022/05/12
文字数:2125文字

6【黄色いレインコート】

雨の日にその子は、いつもその場所にいた。

「ねぇ。お洋服が汚れたじゃない。どうしてくれるのよ」
不機嫌な雰囲気に似あわず、その声は高く澄んでいた。
グイッと服の裾が引っ張られる。
「え?私?」
思わず振り返る。

そこにいたのは、小さな少女だった。
「あなた以外に誰がいるのよ。服が汚れたのよ」

つんけんとしながらも、その少女の姿は可愛かった。
水色のワンピースに水色の傘、水色の長靴。
どれも水玉模倣が散りばめられている。
少女の髪はくるくるで、童話の中から抜け出たような雰囲気があった。

「ねぇ?聞いてるの?」
思わず見とれていた私に少女が怒った声で聞く。
「どこが汚れたの?」
「これ、みてよ!」

少女が指さしたのは、濡れた服の端だった。
雨が降ってるのだから、濡れるのは仕方がない。
それを、私のせいだと言われても……。
という、説明をしてみるも

「あなたのせいよ!あなたが近くにいたんだから」

何とも理不尽な怒りが飛んでくる。
「私に何をして欲しいの?」
「そんな事も判らないの?クリーニング代、ちょうだい」
唖然とした私をよそに、その子の目は真剣そのものだ。
「濡れたくないなら、レインコートを着たらどうかな?」
「ない。買ってくれるの?」
さも当然と少女は言い放った。

『なんで、私が!!』と言おうとして、やめた。

「いいよ。おいで」
ついてくるとは思ってなかったが「いいわよ。行くわ」と少女はついてきた。


家について、綺麗にラッピングされた袋を少女に渡す。
玄関で、少女はぽかんとその袋を受け取った。

「なによ。これ?」

「レインコート。似合うと思うわよ」
半信半疑の目でびりびりと袋が破かれる。
水色のレインブーツに似合う水色のレインコートが袋から出てくる。

「良かったら、使って」
レインコートのあちこちを眺める少女。
「どうしたのこれ?」
「渡すつもりだったけど、渡せなかったのよ」
私は正直にそう言った。

「いいの?本当に良いの?」
そう言いながらも、すでに袖を通している。
「可愛い?可愛い?」
「可愛いわよ」

少女の姿が別の姿と重なる。
思わず首を振って、幻影を消し去る。

「気に入ったなら、使って」
「わぁ。ありがとう」
意外にも少女は少女らしくにっこり笑ってそう言った。


次の日、女の人が家にやってきた。
「すみません。娘がレインコートを頂いたと聞いたのですが」
「ああ。そうです。何かありました?」
「いえ。そうではなくて、あの。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げられる。
「いえ。プレゼントの相手がいなくなったので、ちょうどよかったです」
「でも、ただで頂くのは……おいくらでしたか?」
面倒だなと思った。
今日も雨。
玄関のドアは開いたままで、外の湿気が入ってくる。
女の人の赤い傘からは滴が落ちていた。

「いいえ。大した値段じゃないんで……」
「でも……」
気弱そうなその人は、その先の言葉を言わずに食い下がってきた。
「大丈夫ですから」
「でも……」
女の人の胸の前で握られた拳が小刻みに震えていた。
「寒いですか?」
思わず、そう聞いてしまった。
寒いといえるような気温ではない。

ふっと彼女の瞳から涙がこぼれ落ちた。
「え?」
思わず声にした驚きに、女の人が慌てて「何でもないです」と後ろを向いて涙をぬぐった。
「えっと。それで、何でもないって言われても……」
顔を真っ赤にして、女の人がこちらを向く。

「なんで、あなたなの?
あの子、私の渡したものは一度も使ってくれないのに、あなたのレインコートは嬉しそうに私に話すのよ。ずるいじゃない。継母でも、頑張ってるのに。
どうして、懐いてくれないの?」

理不尽な怒りをぶつけられる。
なんだか、似たような事が昨日もあったような気がする。

「それで、私にどうしてほしいんですか?」
同じ言葉を繰り返してる。

「え。あ……すみません」
返事は昨日とは違った。
益々赤くなった顔で下を向いたまま、小さく「すみません」が繰り返される。
……これはこれで、困る。

私はしゃがんで、下から彼女の顔を覗き込む。
「頑張ってるんですね。じゃぁ。いいじゃないですか?」

そこからぽつぽつと彼女が話す。
女の子が本当はレインコートを持ってる事。
それは彼女が最初に渡したプレゼントだという事。

それは確かに、私が渡したレインコートを喜んでるのは辛い。

そう思いながら、玄関の開けっ放しの扉の向こうに水色のレインコートを見つけた。
目が合うと、慌ててレインコートは逃げていった。


「すみませんでした。こんな話」
一通り話し終えた後、彼女は顔を上げて言った。
何と返していいのか分からない。
「聞いてくれてありがとうございました」
ぺこりと下げられた頭に向かって「…どういたしまして」と呟いていた。
またねとも言えず、「お邪魔しました」と去る彼女を見送った。



次の雨の日。

水色のレインコートは戻ってきた。
黄色いレインコートを着た女の子の手で。

「……ごめんなさい」

ぶっきらぼうに女の子はそう言った。

「もう、いいの?それ、汚したくなかったんじゃないの?」
「いいの。だって、ママが使ってほしいって思ってるのが分かったから」
女の子はくるんと一回転してみせる。

そして、笑って雨の中を走っていった。

雨の日には黄色いレインコートの女の子が、
文句を付けてくる。


『私のレインコート、汚さないでよね』




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