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― 水色のレインコート ―

2022/05/12
文字数:1719文字

7【水色のレインコート】

「レインコート、汚さないでよね!!」


自分そっくりなこの生意気な姿が嫌だなと思う。

「汚してないわよ。汚したくないなら、着なきゃいいじゃない!!」
「あなたが、レインコートを着たらいいって教えてくれたんでしょ」

確かにそうだ。余計な事を言ったと思う。
「だったら、せめて人に絡むのはやめなさいよ」

「いやよ。見てほしいんだもの」
「嫌でも皆の目に入るわよ。傘を振り回して、レインコートを着ていればね」

「本当?」
「迷惑だもの。それもやめなさい」

ちょっとむっとした目がこちらに向く。
あの母親はこの子に何も言わないのだろうか?

「もー。いい」
ぷいっとそっぽを向いて駆け出していく。

声をかけようとして、やめた。
赤の他人なのに余計な世話を焼きすぎた。

ため息を一つついて、
「上手くいかないな」と声に出す。


「ただいまー」
そう言って、家に入る。
家からは返事がない。
リビングに入って、テレビを付ける。
ニュースが流れだす。

カバンを置いて顔を洗って着替える。

この家にはもう誰もいない。

パタンと冷蔵庫を開けて中身を見る。
調味料以外が見当たらない。
食事は諦めた。
さっさと寝てしまおう。

お風呂に入って、寝る準備をそそくさとする。
疲れているわけではないと思う。
なのに、なぜかすっっと眠りに落ちていく。



「卵子提供?それって親族間だけじゃなかった?」
記憶の中の情報を辿って、目の前の友達に問いただす。
「そんなの古い時代の事よ。今は精子提供と同じで卵子に問題がなければ誰でもいいのよ」
医療系に進んだ彼女は淡々と答えた。
そんなに進んでいるんだと驚きながら、話の続きを聞く。
「で?えっと。なんだっけ?」
「だから、提供してって言ってるのよ。サンプルは若いほどいいのよ」
「ちょっと待って、保存にお金がかかるとか聞いたような」
「それは、自分の卵子を使いたい人の話。あなたは要らないでしょ?」
「要らないって酷いな……ちょっと傷つく」
「でも、子供は要らないでしょ?」
「まぁね……そもそも、子宮が機能するか怪しいらしいし……要らないんだからどうでもいいけど」

「欲しいのは子宮じゃなくて、卵子だもの。問題ないわ」



目が覚めた。
時計は真夜中を指している。
……変な時間に寝るから、変な時間に起きてしまった。

友達の話に乗って、卵子提供をしたのが数年前。

もし仮にあの卵子が使われていたら……
あのくらいの子供がいてもおかしくはない。


でも、私にも子供にも育て親にも知る権利はない。

確認しようがない事は分かってる。

「はぁ。……なんで、思い出すかな。気にしなくていいのに」


布団の中でごろごろしているうちに朝になってしまった。
眠れたのか眠れなかったのか、よくわからない。


「レインコート、汚さないでよね!!」

いつもの声が聞こえる。ぼんやりした頭に、子供の高音が響く。
素通りしようとすると

「聞いてるんでしょ!!無視しないでよ」

他の人達が無視しているのを気にせずに私の行く手だけを阻んできた。
本当にめんどくさい子供だな。

「雨莉、やめなさい」

珍しく母親の声が聞こえた。苦情が絶えなかったのかもしれないと思った。

「ママ、だって……見てくれないんだもん」
「ママがちゃんと見てるから、他の人に絡むのはやめなさい」

その隙をついて、私は会社へと向かう。
めんどくさい事はもう終わりにして欲しい。
という、願いは届かなかった。



いつもより遅い帰り道で、その子はまた

「レインコート、汚さないでよね!!」

と私の目の前で言ってきた。
「……。ねぇ。お家、帰らなくて大丈夫?」
子供が遊ぶには遅い気がする。

「大丈夫」
と言った女の子の後ろで、母親が
「雨莉!!」と叫んでこちらにやってきた。
「何度言ったらわかるの?」


「何度でも!!」

ホントに可愛くない子供だなと思う。
自分の子供時代そっくりでウンザリする。
その横を通って帰ろうとすると


「どうして、無視するの?」
ぎゅっと服の裾が捕まれて、上目遣いで女の子が聞いてきた。

「どうして、構うの?」

「だって……だって…」

捕まれていた裾がゆっくりと落ちていく。
女の子は答えを見つけられなかったようだ。
「ほら、やめなさい。迷惑になるから」

母親がこちらに頭を下げて小さく「すみません」と言った。
おそらく、何度も頭を下げてきているのかもしれない。


私は何も言わずに、その場から去った。


自分の子供の可能性は気持ち悪く不愉快でしかない。

雨の季節の終わる頃、私は女の子の居ない町へ引っ越した。




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