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― 忘れられた雨1 ―

2023/09/02

〈雨の子守唄〉

文字数:約1936文字
 霞む町並み。
 行き交う人々。
 立ち並ぶ建物。

 そんな中で少女は何を思っていたのか。

 激しくなった雨に俺達の足も自然に速くなる。
「おい、あそこで雨宿りして行こうぜ」
 前を走っていた友達の魁が肩越しにこちらを見てそう言った。
「ああ」
 頭にかけたタオルを片手で押さえ、走りながら答える。
 歩道橋の上に差し掛かったときだった。

 パサリッ

 不意にタオルが頭から落ち、水溜りの水を吸う。
「それ、取ってくれる?」
 少女にタオルを指差し聞いた。
 さらりと微かに髪がゆれる。
 手がタオルにゆっくりと触れた。
 少女は無言のままタオルを差し出す。
 微かに触れた手に体温は無い。
 かといって、氷のように冷たいわけでもない。
 まるで、空気に触れたような……
「ありがと」
 何処か不思議な感覚を覚えながらも、それを受け取った。
 そして、足早に友達の後を追った。

 建物の中に入り雨の雫を軽く払う。
 少しヒンヤリとした風が肌に寒さを与える。

「何してたんだ?」

 不審な顔つきの魁に簡単に
「タオルとって貰っただけ」
 とだけ答えた。
「誰に?」
「あの子」
 そうして、指差した方には誰もいない。
「お前さ、一人で喋ってたぞ?」
「は?」
 目が点になった俺にお構いなしに魁は続ける。
「で、タオルが風でちょうど良くお前の手に乗ってさ。
 って、あれ誰かいたのか?」
「……」
 背筋につっと一筋の汗。
「ま、見える時ぐらいあるさ。雨だしな」
 意味不明なそいつの言い分など全く耳に入らず、
 俺はあの少女の姿を思い出そうとしていた。

 さらりと揺れた髪。
 閉ざされたままだった唇。
 微かに触れた手。

 どんなに思い起こそうとしても、
 断片的にしか思い出せないそれは、
 少女が生きたものではない事を証明している様で―

 『見つけてくれた―』
 『気づいてくれた―』
 『話してくれた―』
 『触れてくれた―』

 それは狂気の様に付きまとった。
 何処までも響く声。
 いや、声というのだろうか?
 頭に伝わってくる感情。
 夢か現かさえも定かでない。

「なんか。やつれてるな」

 ぐったりとした俺に魁が言った。
 微かに上げた瞳に、からかい気味の魁の顔が見える。
「う~うるせえ」
 頭を上げる気もなく、机に突っ伏したまま俺は答えた。
 カタンッと隣の椅子を引く音が聞こえる。
「もしかして憑かれたとか?」
「……」
 答える気力も無く無言。
「当たりか。ご苦労なこったな」
 他人事のようにさらりと言ってくれる。
「うるせえ」
 まるでその言葉しかいえないように俺は繰り返す。
「確か、あそこで自殺者がいたの知ってるか?」
 不意に話を変えた魁に俺は頭を上げる。
「何?」
「だから、お前が少女と出会ったって言う歩道橋で自殺した子がいるんだ。
 確か、1・2年前?そんなに昔じゃなかったと思うけどな」
 顎に手を当て思い出すような姿の魁。
「そんな話、聞いた事ないけど」
「表向きは事故で処理されたらしい。
 ま、ノイローゼだったって言うからどっちが真偽かわからねーけどな」
 あっけらかんと魁は言い切る。
「ノイローゼ?それで、俺までノイローゼにしようとしてるわけ?」
 恨めしそうな瞳で俺は魁を覗く。
 魁はやめろといわんばかりに俺の首を捻った。
「さあ?それはわからないな。
 でも、そいつも寂しかったんじゃないか?」
「……」
 寂しいなんて理由で付きまとわれても困る。
 第一こっちは生きているんだ。
 向こうはもう死んでるんだから、また死ぬ事は無いだろうけど。

 ……。
 ひたひたと憑いて来る足音。
 これが現実なのか夢なのかそんな事はもう、どうでもいい。
「い……んに」
 どれくらいの時間が経ったのだろう。
 俺の怒りが頂点に来てた。

「いい加減にしろ!!
 まとわり憑いたって俺にはどうしようもないんだ!
 それともあんた、俺を殺したいのか!!!」

 ピタッと止まった音。
 振り返った先には、あの時の少女。
 泣き出しそうな顔で俺を見つめる。
「殺す?ちがっ……私じゃ……」
 全てを拒絶するかのように耳を塞ぎ、座り込んだ。

 (違う。私じゃない―)
 『あなたのせいで』
 『あんたがあの子を』
 『何故、気づかなかった?』
 『一番近くにいたくせに』

 (違う!!違う違う違う!!)

 これは?誰の声だ?
 (私が殺したの?)
 (私が?)
 《確か、ノイローゼだったとか?》
 責められて、責められて―
 その果てに。

「誰が殺したの?」
 ふと、少女が顔を上げる。
 その目は誰も何も見てない。
「私が?」
 消え入るその姿に俺はとっさに手を伸ばしてた。

「違う。どうしようもない事だったんだ」

 どうして、そんな言葉が出たのか。
 思っても無いのに何故?
 抱きしめた腕の中で少女の瞳が俺を見つめる。

「ありがとう」

 ふんわりと微笑む少女。
 光がゆっくりと少女を包んだ。

 バサッ

 光の翼を羽ばたかせ、少女が小さく手を振った気がした。



 滴る雫は血か雨か―
 子守唄が包み込む

 零れ落ちるは涙か雨か―
 子守唄が包み込む

 降り注ぐは光か雨か―
 子守唄が包み込む



イラスト  

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