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― 忘れられた雨2 ―

2023/09/02

〈雨の鎮魂歌〉

文字数:約1842文字
 濁った水溜り。
 行き急ぐ学生。
 鳴り響くチャイム。

 そんな中で少女は何を思っていたのか。

 少女はいつも校門へと足早に歩く。
 そして、そこでぷっつりと姿を消すのだ。
 今日も―
 雨の中傘もささずに傍を通り過ぎた。

「おい」
 不意にかけた声はやけに大きく感じる。
 傘を少女へと差し出した。
 濡れる事など無いと知りながら。
 少女は振り返らない。
 そのまま校門を潜り消えて行った。
 差し出した傘を戻して俺も校門を潜る。

 次の日も雨だった。
 パシャン。
 波紋の広がらない水溜り。
 雫だけが降り注ぐ。
「おまえ。わかってるのか?」
 少女が通り過ぎようとした時に俺はその腕を掴んでいた。
「え?」
 不意の事に少女の瞳が揺れる。
「自分が死んでる事」
「何?」
 ぼんやりとした瞳。
 それでもはっきりと過去を映し出している。

 『殺された』
 『死んでしまった』
 『生きてはいない』
 『命が消えた』

 ゆっくりと吐き出した息。
 一度少女は深呼吸をした。

「うん。わかってる」

 何処か虚ろな瞳が俺を見ていった。
 いや、実際に俺を映しているのか?
「でも、どうでもいいの。
 死んでいても生きていても同じだモノ」
 その瞳に何が映っていたのか俺は知らない。
 夢見がちな瞳が微かに淀み、宙を浮いた。
「じゃ、ね」
 それだけ言って、少女は校門へと歩き出す。
 生きているものなら当たり前のような光景。
 少女はその中に溶け込んでいた。

 パラパラとめくるページ。
 休憩時間の図書室はやけに静かだった。
 探しているのは少女の新聞記事。
 おそらくそんな昔じゃないはずだ。
 そして見つけた―

『通り魔に殺された少女』

 少女の写真は今よりいくらか幼かった。
 誰もが忘れたはずの時間。
 その中で少女は成長を続けた。

 何のために?
 誰のために?

 …………。
 考えたってわかるわけないか。
 第一、俺の知ったことじゃない。
 なのに気になるのは何故?

「考え事?」
 ボーとしていた俺に不意に声がかかった。
「珍しいな。そんなに考え込むなんて」
 カタンと隣に腰をおろす友達の信。
「どーせ俺は何も考えてない奴だよ」
「んな事言ってね―って」
 軽く笑ってそいつは続けた。
「で?何考えてたんだ?」
「別に」
「別にね~」
 そっぽを向いた俺に探るような目が突き刺さる。
「ま、別にいいんだけどね。他人の事なんだから」
 突き放したような言い方。
 いつもの事だ。
 皆、自分の事で精一杯なんだから。

 だったら、何故気にする?

 昼休み。アンパン一つ手に持って屋上へあがった。
 雨は止んでいたが、相変らずの重い雲。
 ――――――――!!
 視線の先に少女がいた。
 フェンスに腰掛けて、微かに俺を見て笑った気がした。
 危ない!!
 と思うまもなく、少女の体が揺れる。
 宙に舞う肢体。
 揺れる髪。
 彷徨う瞳。

「何故、止めるの?」
 少女が俺を見上げ問う。
「何でって、こんな所から落ちたら死ぬぞ」
 クススッ
 嘲あざける様な笑いが少女の口から漏れる。
「バカみたい。私が死んでるって言ったのあなたよ。
 だから、試してみようかと思って―」
「それは悪かったな。だったら、俺のいない所でやってくれ。
 人の姿が落ちる光景なんて見たくないんでね」
 嫌味たっぷりにおれは返した。
「おい。上がってこいよ」
 依然、手を掴もうとしない少女。
 重いわけでも軽いわけでもない不思議な感覚が腕から伝わる。
「いや。っていったら?」
「は?遊んでるつもりは無いんだ。上がってこいよ」
 まるでだだっ子の様な言動に苛着きながら、手を引く。
「どうして」
 そこまで言いかけて、少女は口を閉ざす。
「何だ?」
「わかった。じゃ、引き上げて」
 そう言われて、引き上げようとするとやけに腕に力がいる。

「はあ。お前さ、ユーレイなんだから一人で上がれたんじゃないのか?」
 大きく息をつきながら少女を見る。
「まあね」
 悪びれた様子も無く少女は言った。
 俺の苦労は一体?
 どっと疲れが出る。

「何で、今更死にたくなったんだ?」
 一息ついたところで俺は聞いた。
「寂しいからかな」
 少女の瞳が僅かに揺らぐ。
「だったら俺も死んでるかな」
 ふと思ったままの言葉が口に出た。

「寂しいからかな」
 少女の瞳が僅かに揺らぐ。
「だったら、とっとと天国でも何処でも行けばいいじゃないか」
 呆れた俺の声に少女が返す。
「それが何処かもわからないの。わかってるのは、私はここに居場所はないって事」
 暗く沈んだ声で少女は言った。

「寂しいな」

  曇った空を見上げて呟く。



「寂しくない者なんていないのよ」
 いったん閉じられた瞳がゆっくりと開く。
「だから、私はここにいるの」


 滴る雫は血か雨か―
 鎮魂歌が鳴り響く

 零れ落ちるは涙か雨か―
 鎮魂歌が鳴り響く

 降り注ぐは光か雨か―
 鎮魂歌が鳴り響く